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          夏  

2026年8月号

■今月の曲 ねむの木の子守歌


ねんねの ねむの木 眠りの木
そっとゆすった その枝に
遠い昔の 夜の調べ
ねんねの ねむの木 子守歌

薄紅(うすくれない)の 花の咲く
ねむの木蔭で ふと聞いた
小さなささやき ねむの声
ねんね ねんねと 歌ってた

故郷(ふるさと)の夜の ねむの木は
今日も歌って いるでしょうか
あの日の夜の ささやきを
ねむの木 ねんねの木 子守歌

『ねむの木の子守歌』は、1965年11月、秋篠宮文仁殿下ご誕生に合わせて作曲され、献上された子守歌です。

歌詞は、上皇后美智子さまが高校時代に書かれた詩が用いられています。

作曲は、山本直純氏の妻・山本正美さん。山本直純氏といえば昭和のテレビ番組『8時だョ!全員集合』や映画『男はつらいよ』の音楽で知られています。


東京都品川区に「ねむの木の庭」という区立公園があります。上皇后美智子さまのご実家・旧正田邸の跡地に、2004年に開園した公園で、その名はこの詩に由来しています。

■眠りの木「ネムノキ」






写真は7月10日に高槻市の安満遺跡公園で見つけた5本のネムノキのうちの一本です。
ネムノキは落葉高木で、初夏に咲く淡紅色のふわふわとした花が特徴です。
夜になると左右の葉が閉じて垂れ下がり、まるで眠っているように見えることから「眠りの木」と呼ばれています。



「夜になると眠る」という特徴を確かめたくて、翌日の夜に再び公園に向かいました。時刻は夜7時半過ぎ、暗い園内で5本の木の周りを歩き回り、フラッシュをたいて撮影しました。確かに左右の葉が閉じて垂れ下がり、静かに眠っているようです。

漢字では「合歓木」と書き、中国では「喜びを共にする」「夫婦が仲良く眠る姿」を表す木として知られ、夫婦円満の象徴とされています。



そして、同じ枝を昼間にも撮らねばと、その翌日も公園に足を運びました。
夜の写真とは角度が異なりますが、同じ枝です。写真を拡大して葉の状態を比較してみて下さい。

安満遺跡公園は、もともとは京都大学農場があった場所で、2021年に全面オープンしました。約22ヘクタールの広大な国史跡「安満遺跡」を整備した歴史公園です。甲子園球場5個分もの広さがあります。
JR高槻駅から1km弱の距離にあり、我が家からも自転車で10分程で行ける、身近な憩いの場です。
今回は3日間かけての撮影となりました。



2026年7月号

■今月の曲 瀬戸の花嫁


瀬戸内海を見てきました。
「瀬戸」で思い出す昭和歌謡と言えばこの歌ですね。
音楽を流せる環境の方は、ぜひピアノ演奏を聴きながらお読みください。

舞子浜にて鳥見

写真は明石海峡大橋です。神戸市と淡路市とを結ぶ明石海峡に架けられた吊橋で、全長は3,911m。写真左側に見える2つの巨大な主塔の間の距離は1991mあるそうです。






浜の中央部分から西側・東側を望んだ写真、そして背後に広がる松林です。東の水平線には大阪府の山並みがかすかに姿をみせています。
この「舞子浜」は、神戸市垂水区の明石海峡に面した海岸一帯の古称です。白い砂と青い松、そして淡路島を望む絶景で知られています。

明治中期から大正・昭和にかけては日本屈指の「高級別荘地・リゾート地」として栄え、明治天皇は七度行幸されました。大正天皇や昭和天皇が自ら植えられた松も残っているそうです。

現在は「アジュール舞子」の愛称で親しまれています。「アジュール(Azure)」は、フランス語で「紺青(こんじょう)」「青空」を意味します。1998年の明石海峡大橋開通に合わせて神戸市が人口砂浜や遊歩道を整備し、一般公募で選ばれました。

南フランスの高級リゾート地「コート・ダジュール」のような美しい砂浜になってほしいとうい願いが込められています。




本題の「舞子浜にて鳥見」、目的はこの鳥「コアジサシ」です。
6月21日、野鳥の会主催の探鳥会に参加しました。

「コアジサシ」は漢字で「小鯵刺」と書き、アジなどの小魚を水中にダイブして捕らえる習性に由来します。同じ仲間に「アジサシ」がおり、それより小さいため「小」が付いています。全長28cm。翼開長53cm。

関西では4月ごろ夏鳥として渡来し、草のない砂浜や河原、埋立地などの地面に直接窪みを作って産卵します。訪れた日は、まさに子育ての真っ最中。写真には親鳥のそばに二羽のひなが写っています。
スマホで写真を拡大すると、ひなの姿がよく分かります。


(スマホの拡大方法)
置く: 拡大したい箇所に指を二本置く
広げる: 指の間隔を広げるように外側へ滑らせる

離す: ちょうど良い大きさになったら指を離す

次の写真の中央部分にコアジサシが写っています。拡大して探してみて下さい。




舞子浜では、絶滅危惧種であるコアジサシを守るため、毎年春から夏にかけて大規模な保護活動と観察活動が行われています。
コアジサシが砂浜に直接卵を産むため、人が近づいて卵を踏んだり、親鳥が驚いて抱卵を放棄したりしないよう、砂浜の一部にロープやネットを張って「立入禁止区域」を設けています。今回訪れた時点では二か所確認できました。

写真の通り、砂浜にコアジサシの仲間がいると安心させるため、市民やボランティアがペイントした模型(デコイ)を設置し、営巣を促しています。

桔梗と家紋


我が家の庭に咲いたキキョウ(桔梗)です。
秋の七草の一つとして親しまれている植物ですが、撮影日は6月24日。

「秋の花が初夏に咲くのは早いのでは」と思い調べてみると、園芸種では自然な姿とか。
秋の七草は、8世紀後半に編纂された『万葉集』の中で定義されたものだそうです。旧暦では秋は「立秋(りっしゅう)」から始まり、現代の暦(太陽暦)に換算すると、毎年8月7日〜8日頃にあたります。園芸種ならありかと納得しました。ちなみに、今年の立秋は8月7日です。

キキョウと言えば、家紋を思い浮かべる方も多いでしょう。
この花ををモチーフにした家紋は「桔梗紋(ききょうもん)」と呼ばれ、星のような端正な五角形の花の姿から、古くから武家や公家、町屋に広く愛されてきたそうです。清らかで凛とした形は、縁起の良い意味合いを持つとされ、歴史上の著名な人物にも使用者が多い家紋のようです。

ゆかりのある歴史上の人物としては、明智光秀、加藤清正、坂本龍馬などが知られています。

  


2026年6月号

夏は来ぬ(なつはきぬ)


(曲は2番で止めています。ご承知おきください)
音楽を流せる環境の方は、ぜひピアノ演奏を聴きながらお読みください。



♪卯の花の 匂う垣根(かきね)に
 時鳥(ほととぎす) 早(はや)も来(き)鳴きて
 忍音(しのびね)もらす 夏は来(き)ぬ♪

『夏は来ぬ』(佐佐木信綱作詞・小山作之助作曲)は2007年に「日本の歌百選」選ばれた、日本の初夏を代表する唱歌です。明治33年に発表されました。
歌の冒頭に登場する卯の花は、主に5~6月に開花します。正式な名前はウツギで、古くから親しまれてきました。旧暦の4月の異称「卯月」はこの卯の花に由来すると言われています。

卯の花はといえば「おから」を思い出す方もおられるでしょう。小さな花が集まる姿がおからと似ていることから、料理の「卯の花」という呼び名が生まれたそうです。

「卯の花」は高槻市の市民の花に選ばれています。写真の卯の花は、5月26日に高槻市の「玉川の里」で撮影しました。花はほぼ散りかけており、わずかに残っていたきれいな花を何とか見つけました。玉川の里は高槻市の史跡して知られ、卯の花の群生地でもあります。




上の写真とは別の立て看板には、玉川の里を説明した次の文言が。
『古来、玉川の里は、摂津の玉川として天下六玉川の一つに数えられ、卯の花や月の名勝として有名で、俳聖芭蕉翁はここを訪れて、次の句を残しています。』
『卯の花や 暗き柳の およびごし』


写真は、歌にも登場する「時鳥(ほととぎす)」です。
写りは良くないですが10年前、2016年5月末に京都の比叡山で撮ったものです。
ほととぎすは、古くから多くの俳人に詠まれているようです。中でもよく知られているのが山口素堂(1642-1716年)の句です。

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)」


この鳥は、初夏に東南アジアから日本にやって来る、夏の季節の到来を告げる代表的な渡り鳥です。
ウグイスなど他の鳥の巣に卵を産み、育てさせる「托卵(たくらん)」という習性でも知られています。
今年も大阪城に来ているとの情報があります。

ホトトギスの鳴き声をお聞きください。(▶を押してください)



どのように聞こえましたか。
鳥の声を人の言葉に置き換えて覚える「聞きなし」では
「キョッ・キョッ・キョキョキョ」➡「特許許可局」

他にも有名な「聞きなし」として ウグイスの
「ホーホケキョ」➡「法華経」
があります。



          

2026年5月号

■今月の曲 学生時代


音楽を流せる環境の方は、ぜひピアノ演奏を聴きながらお読みください。

またピアノに合わせ、声を出して歌うのも良いかと思います。ペギー葉山さんの名曲「学生時代」です。特に高齢の方にとって、声を出して歌うことは身体面・認知面・心理面でよい効果があるとされています。
今回の曲は本文の内容とは関係ありません。

■この紋所が目に入らぬか・・・!


じつはこれは、高槻市にある永井神社の社紋です。
永井神社は、旧高槻城内にある野見神社の摂社(注参照)。寛政5年(1793)8月に、高槻藩主9代・永井直進(なおのぶ)が、初代藩主直清(なおきよ)を祭神として創建しました。江戸時代の建築様式をよく伝える高槻藩の歴史遺産として、市の指定文化財になっています。
(注)摂社とは本社(メインの神社)の管理下にある、本社と特に深い関係(由緒や祭神の関係)を持つ小規模な神社のことです。

    

この社紋は、高槻藩(永井家)の藩紋です。
大名家では、2つ以上の家紋を使うのが一般的だったようで、永井家も2つ使用していました。そのうちのひとつ「永井鉄線」は、全国でも永井家だけが使ったオリジナルの家紋。3代将軍・徳川家光から永井直清が拝領したと、永井家の系図に記されているそうです。




永井家が大切にしてきたテッセン(鉄線)です。
写真のように、門の前に飾られていました。

テッセンは、春から夏にかけて紫や白の花を咲かせるつる性植物で、別名「鉄線花」。その名の通り、鉄線のように丈夫なツルを伸ばしながら成長します。もともとは中国に自生するクレマチスの一種です。


社紋を小菊で表現した花手水(はなちょうず)。三色の菊が並び、社紋の形が浮かび上がるように工夫されています。
いずれも5月2日撮影。



こちらは我が家の庭に咲いたテッセン(クレマチス)です。永井神社のものとはかなり違いますね。クレマチスは園芸品種の総称で、テッセン(鉄線)は中国の原種で花びらは通常6枚、カザグルマ(風車)は日本の原種で花びらは通常8枚。江戸時代以前はこの2つが親しまれていました。明治以降、海外で改良された華やかな「クレマチス」が入って来た際、昔から馴染みのある「テッセン」の名でまとめて呼ばれるようになったようです。我が家でも「テッセン」とよんでいますが、改良されたクレマチスかと思います。写真では分かりにくいですが、3つある花は花びらの数が6枚・7枚・8枚とバラバラです。
5月6日撮影。


2026年4月号

■♫こぶし咲くあの丘 高槻の・・・♫

いま音楽を流しても大丈夫な方は、ピアノ演奏を聴きながらこの便りをお読み下さい。







写真は・・・そうです、コブシ(辛夷)です。
まずは、コブシが季語の俳句を探してみました。


「題目の
   碑がある寺の
         辛夷かな」
    正岡子規(1867-1902)

句の解釈を調べてみると
「『南無妙法蓮華経』という題目が刻まれた大きな石碑が立っているお寺がある。その傍らで、いま真っ白な辛夷(こぶし)の花が、春の光を受けて鮮やかに咲いていることよ」
とのことです。そして
「無機質で重厚な石碑の背景に、天に向かってパッと開く白い辛夷が置かれることで、お互いの存在感が引き立てられている」と。
「題目の碑」とは日蓮宗の寺院によくある石碑だそうです。
また
「子規はこの時期、ありのままを写し取る『写生』の重要性を説いていました。この句も、何か深い教訓を述べようとしているわけではなく、『古い石碑の横に、白い花が咲いている』という、旅先でふと目にした『色の対比』と『季節感』をスナップ写真のように切り取ったものと解釈するのが最も一般的です」
とありました。

▶コブシについて
コブシは早春(3〜4月)に葉の展開に先駆けて白く芳香のある花を咲かせ、春の訪れを告げる代表的な花木です。蕾や果実が子供の握り拳(こぶし)に似ていることが名前の由来。街路樹や庭園のシンボルツリーとして親しまれています。白色で花びらは6枚です。写真3枚目を見ていただくとわかりますが、花の付け根に小さな葉が1枚つくのが特徴で、ハクモクレンとの見分けにも役立ちます。日本(北海道~九州)および韓国の済州島に分布し、日本の固有種ではありません。


▶今回紹介するモクレン属の4種
今回取り上げるのは、コブシ(辛夷)、ハクモクレン(白木蓮)、シデコブシ(四手辛夷)、モクレン(木蓮)の4つ。いずれも高槻市内で撮影しました。一般的には、3月上旬から4月中旬にかけてこの順に咲いていくようです。ただ今回、高槻市内で何か所か見ましたが必ずしもこの順ではないように感じました。





ハクモクレン(白木蓮)です。花びらは9枚で白色の大きな花が上向きに咲きます。




シデコブシ(四手辛夷)です。日本の固有種であり愛知・岐阜・三重の伊勢湾周辺の湿地にのみ自生しています。細長い花びらが白やピンク色に咲き、別名「ヒメコブシ」。庭木としても人気ですが、自生地では減少しており準絶滅危惧種に指定されています。 一般のお宅の道路沿いの庭に咲いていたところを撮らせてもらいました。今回この花だけは1か所見つけただけです。



モクレン(木蓮)です。原産地は中国。紫色の花を咲かせるためシモクレン(紫木蓮)とも呼ばれます。花びらは6枚で、外側の紫と内側の白のコントラストが美しい花です。

▶見つけるなら「3月中旬~桜の開花前」が勝負
モクレン属の花は、桜より少し早い時期に咲きそろいます。今回、ハクモクレンは3月17日にマンション横の小さな公園で撮影しましたが、3月26日に通った時には花がすべて散っていてびっくり。どの木だったかなと思わず見直しました。来年の3月、皆さんもぜひ春の使者たちを探してみて下さい。


2026年3月号

春の訪れを告げる「まず咲く」花、マンサクと梅の便り





「おほかたの枯葉は枝に残りつつ
   今日まんさくの花ひとつ咲く」

上皇后美智子さまが、2011年(平成23年)の歌会始で御題「葉」に寄せて詠まれた御歌です。 宮内庁によると、春に咲く花芽を守るように枯葉を枝に残したまま冬を越したマンサクの木に、早春、初めて黄色い花が咲いたのをご覧になった時の喜びを詠まれたものだそうです。
「おほかた」は「大部分」という意味です。

歌会始の起源は鎌倉時代中期にまで遡り、江戸時代を通じてほぼ毎年催されてきました。明治維新後も明治2年(1869年)に明治天皇が即位後最初の会を開かれ、以後、改革を重ねながら今日まで連綿と続いています。

写真は3月初旬、高槻市の乾生寺(けんしょうじ)で撮影しました。 マンサク(満作・万作)は日本原産の落葉低木で、早春に他の花に先駆けて黄色いひも状の花を咲かせます。「まず咲く」あるいは「豊年満作」に由来するという説がよく知られています。花には良い香りがあり、庭木としても親しまれています。







▶歴史をつなぐ紅梅
境内には樹齢300年を超えると言われる立派な紅梅もありました。高槻城主・永井近江守直種公が植えたと伝えられる古木です。 隣には白梅とともに可愛らしいサンシュユの花も。春先に葉が出る前に黄色い花を咲かせます。秋にはグミに似た赤い実をつけますが、写真のようにまだ残っていました。







▶マンサクにまつわる二つの話
① 高槻駅前の植木市で出会ったマンサク
乾生寺へ向かう途中、JR高槻駅前通りで「植木市」が開かれていました。そこで販売されていたマンサクの値札には6,300円と。

② 嵐山で見つけたアカバナマンサク
2月22日、京都・嵐山で行われた探鳥会に参加した際、嵐山東公園でアカバナマンサクを見つけました。一般的な黄色いマンサクより花弁が赤く、秋の紅葉も美しいのが特徴だそうです。


           

2026年2月号

□紋付鳥 2月の庭から




2月中旬に高槻市内にて撮影したものです。

スズメほどの大きさで、翼に白斑があることから「紋付鳥」とも呼ばれるこの鳥は、「ジョウビタキ(尉鶲)」のオスです。
中国やロシアなどで繁殖し、越冬のために日本へ渡ってきます。澄んだ声で「ヒッ ヒッ ヒッ」と鳴き、時には「カッカッ」と低く鳴くこともあります。尾を小刻みに震わせたり、頭を下げるようなお辞儀の仕草も特徴的で、住宅地や公園など身近な場所でも見かけます。この写真も、川沿いの小さな公園のそばにある民家の庭木で見つけました。もし「ヒッ ヒッ ヒッ…」という声が聞こえたら、ぜひ周囲を見渡してみてください。


▶を押すと鳴き声が聞けます。



 「今年また
   紋見せに来し
     鶲(ひたき)かな」
           鷹羽狩行


この鳥を季語に詠んだ俳句を探してみました。「紋付鳥」と呼ばれることを知っていれば分かりやすい句ですね。俳句ではこの鳥を鶲(ひたき) と呼び、秋の季語になっています。冬に見かけることが多いため冬の季語かと思いましたが、調べてみると10月中旬ごろにはすでに日本に渡って来ているようです。

  
  紋付のイラストです。


2019年12月に撮影したジョウビタキのメスです。
メスもかわいいですね



2026年1月号

□ ロウバイと芥川龍之介






写真はいずれも1月22日に高槻市内で撮影したものです。

「蝋梅(ロウバイ)や
    雪うち透かす 枝のたけ」

    芥川龍之介(明治25年~昭和2年)

この俳句は、江戸時代から芥川家に伝わり、本所(現在の墨田区)の家から田端(北区)の家へと移植された一本のロウバイを詠んだものです。龍之介にとってこのロウバイは、幕臣だった先祖の時代から唯一受け継がれてきた「家の象徴」ともいえる特別な存在でした。明治維新後、家財を手放すことになっても、このロウバイだけは大切に守られ、芥川家に残されたそうです。

句の解釈を調べてみると―― 「雪が舞う冬の情景の中、葉を落としたロウバイの枝が雪を透かして見える。その枝の高さに焦点を当てることで、ロウバイの透明感や生命力、あるいは無常観を表現している」 ――とありました。私には難解な句ですが、皆さんはどのように感じられるでしょうか。

 
AIにこの句に合うイラストを作ってもらいました

今月は芥川賞と直木賞の発表がありましたね。芥川賞は正式には「芥川龍之介賞」といい、新人作家による純文学作品に贈られる、日本を代表する文学賞のひとつです。芥川龍之介は小説家として知られていますが、俳句も詠んでいたそうで、俳号(ペンネーム)は「餓鬼(ガキ)」だったとか。35歳という若さで自ら命を絶ったことは、文学史に深い影を落としています。

さて、本題の花の話に戻りましょう。ロウバイ(蝋梅)は江戸時代前期に、そしてソシンロウバイ(素心蝋梅)は明治時代に中国から渡来しました。花期は冬で、甘い香りを放つ黄色い花を多数咲かせます。一枚目の写真がロウバイ、二枚目がソシンロウバイと思われます。両者の最大の違いは花の中心部の色で、基本種のロウバイは内側が赤紫色を帯びているのに対し、ソシンロウバイは花全体が均一な黄色をしています。ソシンロウバイはロウバイの園芸品種で、花が大きく香りも強いため、庭木として広く親しまれているようです。


□新年あけまして
   おめでとうございます


新年のご挨拶とともに、ウグイスのさえずりと富士山の写真をお楽しみください。

ウグイスは2016年3月に淀川にて撮影したものです。

ウグイスとメジロは、よく間違えられる鳥です。現在放送中のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』でも、プレゼントされた小鳥を“ウグイス”と聞かされていたものの、なかなか『ホーホケキョ』と鳴かず、実はメジロだった…という場面がありましたね。
次の動画では、ウグイスとメジロの両方をご覧いただけます。ぜひ見比べてみてください。

メジロも3月に撮影したものです。


2025年12月号

□もういくつ寝ると・・・









早いもので今年ももうわずか。1枚目の写真は12月20日にホームセンターで撮影したものです。正月用品がズラリと並んでいました。もういくつ寝ると・・・、いまはまだ、両手でもわずかに足りない日数がありますが。この展示は1週間ほど前にはもうありました。

そして、河川や池では冬鳥たちが沢山やって来ています。そこで、枚方市にある大阪府営の山田池公園に行ってきました。山田池は1200年前の築造といわれ、歴史的にも貴重なため池だったそうで、東京ドーム2個分の広さがあります。ここにもたくさんの冬鳥がやって来ていますが、その中で注目はカモ科のオシドリとミコアイサです。オシドリは確認できましたが、人が近づけない岸辺の木陰に隠れており、きれいに撮影することはできませんでした。

ミコアイサは望遠レンズでなんとか撮れました。漢字は「巫女秋沙」、巫女(みこ)さんの白装束に由来します。ユーラシア大陸の北部で繁殖し、冬季にヨーロッパ、カスピ海、インド、中国、日本(九州以北)などに渡ります。主に湖沼、河川、池など淡水域に生息し、水中に潜って魚類、甲殻類、貝類などを捕えます。

オスは全身ほぼ白色で眼の周囲が黒くパンダのような顔。その特徴的な羽色から「パンダガモ」の愛称で呼ばれ、人気があります。頭が茶色なのがメスです。ただ、オスの1年目の若鳥はメスとよく似ているそうなので、もしかするとオスだったのかもしれません。他のカモ同様、オスの美しい姿に比べて、メスは地味で目立たない色をしていますね。


           

2025年11月号

■モミジとカエデ









最初の写真は、11月21日に吹田市の万博記念公園「モミジの滝」で撮影したイロハモミジです。次の写真は、11月22日に高槻市富田町の街路樹として植えられていたトウカエデを撮影したものです。

モミジとカエデは植物学上ではどちらも「カエデ属」に分類されますが、日本では葉の切れ込みの深さによって区別されることが多いようです。一般的には、切れ込みが深いものを「モミジ」、浅いものを「カエデ」と呼びます。ただし、これは園芸や盆栽の世界での慣習的な呼び方であり、両者は本質的には同じ植物です。海外では、どちらも「メープル(Maple)」と総称されます。

「モミジ」という言葉は、草木が秋に赤や黄色に色づくことを意味する動詞「もみず」に由来し、それが名詞化されたものとされています。一方、「カエデ」は、葉の形がカエルの手に似ていることから「かへるで」と呼ばれ、それが転じて「カエデ」になったといわれています。

最初の写真に写っているイロハモミジは、日本の紅葉を代表する木で、公園や街路樹としてもよく見かけます。葉は5〜9つに切れ込んでおり、特に7つに切れ込んでいることが多いです。これを「いろはにほへと」と数えたことが、名前の由来になったともいわれています。写真を拡大してみると、確かに7つに切れ込んでいるのがわかりますね。
  
    「森林・林業学習館」のホームページより引用


※曲が終わった後、もう一度聴きたいときは、YouTube画面中央に表示されるの反時計回りの矢印(リプレイボタン)を押してください。(パソコンは左下)

この「もみじ」は、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の唱歌で、1911年(明治44年)に『尋常小学唱歌(二)』で発表されました。小学校でも広く歌われており、ハーモニーを学ぶ教材としても親しまれています。二部合唱になっているので、ぜひ低音部を声に出して歌ってみてください。


2025年10月号

■コスモスと百恵さん



秋の風に揺れるコスモスの花々をご覧ください。そして、山口百恵さんの名曲「秋桜(コスモス)」もぜひ一緒にお楽しみください。歌唱で深く聞き入るもよし、ピアノ演奏でメロディを口ずさむもよし。時間に余裕のある方は、ぜひ両方お聴きください。
写真は10月14日、高槻市三島江にて。
山口百恵

みこみこピアノ

※再生の際は、周囲へのご配慮をお忘れなく。
※音楽を聴きながら、画面を下にスライドして文章をお楽しみください。
※曲が終わった後、もう一度聴きたいときは、YouTube画面中央に表示されるの反時計回りの矢印(リプレイボタン)を押してください。(パソコンは左下)


癒されるというか、心に染み渡るとてもよい曲ですね。何度聞いても飽きないです。 皆さんはいかがでしょうか。今回はコスモスの花とともに、嫁ぐ娘が母を想う歌「秋桜」、そして山口百恵さんについて少し調べてみました。

コスモスはメキシコ原産のキク科の一年草で、秋を代表する花として親しまれています。 日本には明治時代にイタリアから渡来しました。桜の花びらに似た姿から「秋桜(あきざくら)」と呼ばれるようになったそうです。

この花が「コスモス」として広く知られるようになったのは、1977年(昭和52年)、さだまさしさんが作詞・作曲した山口百恵さんの楽曲「秋桜」がきっかけです。 この曲で「秋桜」という漢字表記が「コスモス」と読まれるようになり、以後定着していきました。

当時、山口百恵さんは阿木燿子・宇崎竜童コンビによる“ツッパリ路線”の楽曲で人気を博していました。 そのため、「なぜさだまさしの曲を歌うのか」という声もあったそうです。 一方、さだまさしさんのファンからも「なぜ百恵ちゃんに?」という反響がありました。 しかし、さだまさしさんは山口百恵さんの中に日本的な女性らしさを感じ、あえてそれまでのイメージを一新するような曲作りをしたと語っています。

1973年に14歳でデビューした山口百恵さんは、1980年10月、日本武道館でのコンサートを最後に21歳で引退。 その翌月、三浦友和さんと結婚しました。


2025年9月号

■赤とんぼ お里の便りとは










【以下は童謡『赤とんぼ』の歌詞です。文化的背景の紹介を目的として引用しています。】


夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小かごに摘んだは まぼろしか

十五でねえやは 嫁に行き
お里の便りも 絶え果てた

夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

くちずさんでみましょう。
▶を押すと曲が流れます。




この歌の背景を調べてみました。

三木露風は大正10年(1921年)、北海道で勤務していた自宅の庭先に竿の先にとまる赤とんぼを見つけ、故郷・兵庫県龍野町(現在のたつの市)で過ごした幼少期への郷愁が胸に広がり、この詩を綴ったと伝えられています。

詩の第一節の「負われて見たのは(おわれてみたのは)」は、「追われて見たのは」ではなく、「おんぶされて見たのは」という意味です。作詞者が幼い頃、子守娘(姐や)の背中におぶさって、肩越しに見た夕焼けの情景を歌っています。

「姐や」とは「姉」ではなく、農家の厳しい暮らしの中で子守奉公に出ていた若い女性を指します。三木露風にとって、姐やは幼い頃の母親代わりのような存在であり、歌詞の多くの部分で姐やとの思い出が描かれています。

三木露風が幼い頃に両親が離婚し、母親は実家に出戻っていましたが、姐やが嫁いでいったことで母親からの消息を聞くことができなくなります。「お里の便りも絶え果てた」という一節には、実母との音信が途絶えたことへの深い寂しさが込められています。

以上が背景だそうです。感慨深いものがありますね。

4枚の写真はいずれも高槻市内で撮ったものですが、夕焼けの写真(9月7日)以外は以前に撮ったものです。赤とんぼは沢山見かけるようになったのですが延々と飛び続けており、シオカラトンボみたいに簡単に止まってくれません。仕方なく昔の写真を引っ張り出しました。2020年10月に原地区と三好山で撮ったものです。アキアカネと思われます。

桑の実は2020年6月に二つの川が合流しているところにある公園で見つけました。そうです、実を付けるのは5月下旬から6月下旬です。歌を聴いていると秋に実るのかと思いますね。完熟すると「ブルーベリーより酸味が少なく、甘みが強い味」が特徴のようです。黒紫色になると食べ頃のようで、写真の1個もおいしそうですね。

この歌が作られた大正時代において桑の木は、明治期からの殖産興業政策と養蚕業の発展に伴い、改良品種が全国に普及し、養蚕のシンボルとしての役割を担ったそうです。


          夏  

2025年8月号

セミと芭蕉




「閑(しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声」

松尾芭蕉が山形市の立石寺(りっしゃくじ)で詠んだ一句です。
偉い先生の解釈によると、
「何という静かさだろう。ふと気がつけば、この静寂の中で蝉の鳴き声のするのがあたかも四囲の岩山の苔むした厳石(がんせき)の中へとしみ透(とお)ってゆくような気がする。あたりの静寂は一層深く、自分の心も澄みきって、大自然の生命の中へ融(と)けこんでゆくかのようだ」

立石寺は天台宗の名刹で、「奥の細道」の旅の途上に芭蕉が訪れた場所として知られています。別名「山寺」とも呼ばれ、童謡『山寺の和尚さん』に登場する山寺のモデルとも言われています。
写真は、数多くある堂宇のひとつ「開山堂」。立石寺を開いた慈覚大師・円仁を祀る場所で、2023年秋の東北旅行の際に撮影しました。
奇岩や怪石に囲まれたこの山全体が、修行と信仰の場としての趣を持っています。奥之院へ至る長い石段(なんと1015段)を登るのが正式な参拝ルートとされていますが、私は途中でギブアップしました。

さて、この句には「蝉論争」と呼ばれる興味深いエピソードがあります。昭和初期、歌人の斎藤茂吉が句の蝉はアブラゼミだと主張し、文芸評論家の小宮豊隆がニイニイゼミ説で反論。最終的に現地調査によって、句が詠まれた季節の立石寺周辺では主にニイニイゼミが鳴いていたことが判明し、茂吉が自説を撤回したという結末を迎えました。

一方、現代の関西ではセミといえばクマゼミ、アブラゼミはあまり見かけなくなりました。セミは鳴き方や時間帯の違いも興味深いものです。クマゼミは午前11時頃には鳴き止みますが、アブラゼミは午前に一度休み、午後も鳴きます。そしてニイニイゼミは日の出前や日没後も鳴き続け、一日中その声が聞こえることも。
最後に、掲載したもう一枚の写真は85日、高槻市で撮影したクマゼミです。



2025年7月号

露と露草 夢のまた夢




今回の一枚は、大阪城内で展示されていた豊臣秀吉晩年の姿を俳優が演じたもの。寝床に座り、辞世の句をしたためる場面です。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

天下人として波乱の時代を駆け抜けた秀吉が詠んだこの句には、人生のはかなさと栄華の幻が宿っています。展示は今年3月、大阪城公園内の天守閣にて目にしたものです。

そしてもう一枚は、高槻城公園で出会ったツユクサ(露草)。7月7日撮影。
青く繊細な花が朝露のように輝きながら、昼にはしぼんでしまう――そんな短い命から「露草」の名がついたという説があります。日陰に咲く花は少し長く咲き続けるようで、そこにもまた季節の機微が感じられます。

ちなみに、今回の2枚には「露」という共通のテーマだけでなく、「天守閣」という歴史的なつながりもあります。
大阪府内で、かつて天守閣があった城は大阪城・高槻城・岸和田城の三つ。大阪城は昭和6年(1931年)、岸和田城は昭和29年(1954年)に再建されました。一方、高槻城は本丸跡のみが残っており、往時の面影を静かにとどめています。


2025年6月号

ハンゲショウ 半化粧とも




この植物の名前は「ハンゲショウ(半夏生)」と書きます。花穂のすぐ下にある葉が半分白くなるのが特徴で、今回撮影した場所では、葉の半分以上が白くなっているものも多く見られました。

「半夏生(はんげしょう)」とは、夏至から数えて11日目にあたる日のことで、今年は6月21日が夏至なので、7月1日が半夏生にあたります。かつては農作業の節目とされ、この日までに田植えを終えるのが一般的でした。

この時期に花を咲かせることから、この植物は「半夏生」と呼ばれるようになったといわれています。また、葉が半分白くなることから「半化粧」とも呼ばれます。花期に葉が白くなるのは、虫媒花であるため、虫を引き寄せるための進化だと考えられています。やがて花の時期が終わり、夏の盛りを迎える頃には、白かった葉も次第に色が落ち、通常の緑色に戻っていくようです。

6月23日に撮影しました。


          

2025年5月号

こいのぼりに金太郎




5月3日、高槻市の芥川桜堤公園で開催されている「こいのぼりフェスタ1000」を見てきました。

市民から寄贈されたものや、子どもたちが手作りした約1,000匹ものこいのぼりが、春の風を受けて芥川上空を泳ぐ様子はとても壮観でした。このイベントは、子どもたちの健やかな成長を願うとともに、川を大切にする心を育むことを目的として、平成4年から続く地域の恒例行事です。
その中でもひときわ目を引いたのが、「金太郎」の絵が描かれた大きなこいのぼり。堂々とした姿が印象的で、思わず見入ってしまいました。

こいのぼりは、中国の故事「登竜門」に由来し、子どもの立身出世と健やかな成長を願うシンボルとして飾られる日本の風習です。「登竜門」は、黄河の急流にある龍門の滝を鯉が登り切って龍になるという伝説で、努力を重ねることで困難を乗り越え、高い地位に就くことができるという教訓を伝えています。

江戸時代には武家が端午の節句に幟(のぼり)を飾る風習がありましたが、庶民も同じように祝いたいという思いから、鯉の滝登りを模した幟が考案され、それが現在のこいのぼりへと発展したと言われています。


2025年4月号

シバザクラ




 サクラに似たかわいらしい花を咲かせるシバザクラ(初芝)、そして澄んだブルーの花が愛らしいネモフィラが満開を迎えています。いずれも北米原産の花のようですね。そして、その花々に誘われるように集まってくるチョウたち。左はキアゲハ、右はジャコウアゲハです。
4月24日撮影。


2025年3月号

河津桜




満開の河津桜とメジロ(目白)
目の周りが白いから「メジロ」と呼ばれています。ウグイスと間違えないようにしてください。

撮影場所は高槻市役所富田支所の横にある筒井池です。この場所を昨年もご紹介しましたが、撮影日は3月2日でした。今年は3月23日に撮影しました。昨年より開花が遅れています。
今年も撮影時に運よくメジロが飛んで来ました。

河津桜は早咲きの桜で、1972年に静岡県賀茂郡河津町で発見されました。



           

2025年2月号

□アセビ




 花はアセビです。開花期は3月上旬頃から4月中旬頃と言われていますが、この写真は嵐山公園で2月23日に撮ったもので、まだ咲いていたのはこの木くらいでした。この木の葉や茎には有毒のアセトポキシンが含まれているため、馬が食べると毒にあたって酔ったようにふらふらとした足取りになることから、漢名で「馬酔木」と書かれるようになったとされています。常緑の灌木で垂れる花房が美しく、虫がつかないことから庭園の植栽樹として重宝されています。

さだまさしさんの「まほろば」という歌の中にこんな歌詞があります。

『馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた 帰り道』

 鳥はルリビタキです。これも嵐山公園で撮ったもの。全長14.5cm。オスは青い体、メスは尾だけがわずかに青色です。日本では北海道と本州・四国の高地に繁殖し、冬は主として関東地方よりも南の地方の山地か、低い山地の林に移ります。


2025年1月号

□ロウバイ




 花はロウバイ(蝋梅)です。江戸時代初期に中国から日本に渡来し、ほかの花木に先駆けて咲く香りのよい花が愛され、生け花や茶花、庭木として利用されてきました。

 鳥はジョウビタキのオスです。スズメほどの大きさで、翼には白斑があり、「紋付鳥」とも呼ばれます。中国やロシアなどで繁殖し、越冬のために日本に渡ってきます。澄んだ声で「ヒッ ヒッ ヒッ…」と鳴き、時には「カッカッ」と低く鳴きます。また、尾を震わせたり、頭を下げるお辞儀のような動作が特徴的で、住宅地や公園にも現れる身近な渡り鳥です。



  本年もよろしくお願い申し上げます


2024年12月号

□ナンテンとフクジュソウ


ナンテン(南天)とフクジュソウ(福寿草)です。
 「災い転じて福となす」と言われるように、ナンテンとフクジュソウはセットで縁起の良い存在として知られています。

 ナンテンはその音から「難転」、すなわち「難を転じる」に通じるため、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いという俗信があります。江戸時代には、どの家も「火災除け」として玄関前に植えられていました。また、赤い色が縁起が良く厄除けの力があると信じられ、江戸後期からは慶事に用いられるようになりました。トイレの前には「南天手水」と称し、葉で手を清める目的で植えられていたとのことです。


 フクジュソウは日本原産の多年草で、毎年花を咲かせます。山野の落葉樹の下などに自生し、黄金色の花が名前の通りめでたい感じを与えます。旧暦の正月頃に咲くため、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)という別名も持っています。
 写真はどちらも高槻市内。ナンテンは12月に街角にて、フクジュソウは2018年3月に乾性寺にて撮ったもの。



           

2024年11月号



 写真の花は、高槻市の善照寺の横に咲いていた皇帝ダリアです。柿も同じく近くで撮影しました。柿を見るとよく思い浮かぶのは、

「柿くへ(え)ば鐘が鳴るなり法隆寺」

正岡子規の最も有名な句です。
偉い先生の解釈によると、
「大和(やまと)は折から柿日和(かきびより)。法隆寺に立ち寄った後、門前の茶店で一服しながら柿を食べる。待望の柿にかぶりつくと、その途端に法隆寺の鐘がゴーンと鳴った。秋の韻(ひび)きだ」
とのことです。

 皇帝ダリアは11月下旬頃から咲き出します。花後は根元から20cm程度の高さで切ってしまいますが、春に株元から新しい芽が出て、冬には2階まで届く高さに成長します。
11月22日 高槻市にて撮影。



2024年10月号




 酔っぱらう花をご存じでしょうか。朝は真っ白い花を咲かせ、徐々に赤くなり、翌朝には二日酔いのように鮮やかなピンク色でしぼんでいます。そうです、これはスイフヨウ(酔芙蓉)です。

最初の写真は朝10時過ぎ、次の写真は夕方5時、三番目の写真は翌朝の7時に撮影しました。スイフヨウ(酔芙蓉)はフヨウ(芙蓉)の園芸品種です。酒を飲むと顔色がだんだんと赤くなるのに似ていることからこの名前がついたと言われています。夕方の花の色が昨年はもう少し濃いピンク色だったと思うのですが猛暑のせいでしょうか。

樹形や葉形はフヨウとほぼ同じですが、スイフヨウの花は八重咲きです。最後の写真は一重咲きのフヨウですが、この花の色は変わりません。
10月24日 高槻市にて撮影。





 「彼岸花」(ヒガンバナ)の別名「曼殊沙華」(マンジュシャゲ)は、「法華経」などの仏典に由来します。釈迦が法華経を説かれた際に、これを祝して天から降った花(四華)の1つが曼殊沙華だそうです。

 開花時期は9月中旬から9月下旬頃で、ちょうど秋のお彼岸の頃に咲きます。突然茎が伸びて鮮やかな色の花を咲かせ、数日で花が終わり茎だけになります。花が咲き終わってからようやく葉が伸び始め、冬と春を越して夏近くになると全く消えてしまいます。花と葉を同時に見ることはできません。花色は赤、白、黄、オレンジ、ピンク、紫と豊富です。

 球根には強い毒性分が含まれています。あぜや土手に植えるのは、土留めや毒があるためあぜに穴を開けるモグラを遠ざけるためです。墓場にヒガンバナが多いのも、有毒性を利用して遺体を動物から守るためだそうです。
写真左は10月1日、右は2017年9月、いずれも高槻市にて撮影。



2024年9月号



『実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな』

 これは俳句ではなく作者不詳の故事成語(ことわざ)です。稲の穂は実が入ると重くなって垂れ下がります。つまり学徳が深まると、かえって他人に対し謙虚になることのたとえです。

 さて、いま毎日食べるコメが売り場で見当たらないという『令和の米騒動』が起こっています。高齢の方は覚えていると思いますが、1993年にも記録的冷夏により『平成の米騒動』が起こりました。そして、緊急輸入された長細いタイ米(インディカ米)を食べましたね。今年も早く収まってほしですが、今年の新米も一部で刈り取りが始まっているようです。近くの田んぼの稲穂も頭を垂れてきました。もう少しの辛抱です。
9月6日 高槻市にて撮影。



          夏  

2024年8月号



 花名のサルスベリ(猿滑)は、写真の通り樹皮がツルツルしていて、猿でも滑りそうなところに由来する。また、百日紅(ヒャクジツコウ)とも呼ばれるが、サルスベリが夏の盛りに長い間咲き続けることから名づけられた。花色は白、ピンク、紅、紅紫などがある。


2024年7月号



 ハスの花は朝早く開き午後3時頃には閉じます。花の開閉は3回繰り返され、4日目には花びらが散るようです。泥の中にある根の部分はふくらんで蓮根(レンコン)になります。ただ食用の物と観賞用の物は品種が分かれており、ここ高槻市新川桜堤のハスは観賞用と聞きました。

 蓮の字の入った四文字熟語といえば「一蓮托生」、よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花 の上に身を託し生まれ変わること。転じて、事の善悪にかかわらず仲間として行動や運命をともにすることです。
 撮影したのは7月中旬、午前9時頃。2枚目の写真はまだ開ききっていないのかな。形が面白いので撮りました。


2024年6月号



ヤエクチナシは八重咲きの園芸種で、日本や東アジアからヨーロッパに渡ったクチナシが品種改良され、里帰りしたものが流通しています。
元のクチナシは6弁花で、名前の由来は実が熟しても開かないことを、口がないことに例えてクチナシになったとされています。ヤエクチナシは豪華な花を咲かせますが、実はつけません。
また、流行歌「くちなしの花」は、渡哲也さんが歌っていました。発売した1年後にあたる1974年(昭和49年)にヒットしその年のNHK紅白歌合戦に出場しています。
"くちなしの白い花 おまえのような花だった" という歌詞が印象的ですね。
写真は6月下旬に高槻市小寺池にて。







 「タチアオイ」です。
地中海地方原産で、英名では「ホリホック」と呼ばれます。和名は平安時代は「唐葵(からあおい)」と呼ばれていましたが、まっすぐに伸びる草姿から江⼾時代以降いまの「立葵」になりました。梅雨入りごろ、花穂の下から咲き始めて順々に咲き上がり、花が終わるころに梅雨が明けるといわれています。赤やピンク、白などの大振りの花を咲かせます。
写真は6月初旬、高槻市にて。



          

2024年5月号





 大阪城には市民の森、飛騨の森、梅林など、あちこちに沢山の木が植えられています。桜の季節が終わり、大阪城は新緑に包まれています。そこに南からやって来るのは渡り鳥たち。彼らにとって大阪城は大都会の中のオアシスです。そして、珍しい鳥を追って集まってくる大勢のカメラマンたちがいました。私もその1人です。飛び回る1羽の鳥を狙って右往左往。高い木で葉が出てきたため、なかなか狙いが定まりません。
その鳥は30センチもの長い尾をもつ「サンコウチョウ」。目の周りとくちばしはコバルト色をしています。さえずりが、「ツキ(月)ヒ(日)ホシ(星)ホイホイホイ」と聞くことができるところから、三つの光、三光鳥の名がつきました。もう一枚の写真は紺色の貴公子「コルリ」です。



2024年4月号



 葉桜の下で芝桜が満開になっています。
 芝桜は、茎がまるで芝のように広がり、春には桜に似たかわいらしい花を咲かせます。一面に花を咲かせる様子は、まさに花の絨毯のようで圧巻です。芝桜は常緑で、地面を覆いつくすように密生し、土の流失を防ぐために花壇の縁取りや石垣、のり面などで利用されています。ただし、芝のように踏圧に強くはありませんので、踏まないように注意が必要です。
 4月15日、高槻市新川桜堤にて。




 淀川でウグイスが鳴いていました。皆さんよくご存じの「ホーホケキョ」という声。野鳥のさえずりを人の言葉に置き換えて覚えやすくしたものを「聞きなし」と言いますが、ウグイスの場合は「法法華経」と表現されます。うぐいす色と言えば、私たちが思い浮かべるのは「うぐいす餅」などの色ですが、実際のウグイスの羽色は、写真の通り緑よりも暗緑茶色です。メジロという鳥は大きさもウグイスに近く、体色も緑色ですから、しばしばウグイスと間違えられます。

 淀川で見つけた写真の花は「ニホンタンポポ」でしょう。タンポポの種類は大きく分けてセイヨウタンポポとニホンタンポポがあります。セイヨウタンポポはヨーロッパ原産の外来種で、ニホンタンポポは日本に古来から生育している在来種です。2つの違いは花の下の緑の部分、総苞片で見分けることができます。セイヨウタンポポの総苞片は反り返っていますが、ニホンタンポポの総苞片は反り返っていません。写真の花は反り返っていないため、ニホンタンポポであると考えられます。
  
       ウェザーニュースホームページより


2024年3月号



 梅の花が終わりソメイヨシノなどの桜はまだ早い3月中旬に街角で見つけたのはボケとハクモクレンの花。
 ふっくらした朱色の5弁花を咲かせるボケ(木瓜)は平安時代に中国から渡来し、江戸時代から盛んに作られています。近年、欧米の改良種の導入により庭木や盆栽鉢植えとして魅力的な花になっています。
 ハクモクレン(白木蓮)は白い清楚な花を咲かせる高木で、樹高は20mにも達します。日本で見られるモクレンの仲間の中で最も早く花が咲きます。原産地は中国。高齢の方ならよくご存じの千昌夫の歌「こぶし咲くあの丘、北国の~~~♪」の「こぶし」はモクレンの仲間です。




 ひな祭り前日に見つけたのは桃の花ではなく「河津桜」。高槻市役所富田支所の横にある筒井池に植えられていました。まだ7分咲きくらいか。調べてみると、1955年に静岡県河津町で原木が見つかり1966年から開花がみられ、1974年に命名されました。2月上旬から開花しはじめ、約一ヶ月を経て満開になる早咲きのピンク色の桜です。河津町の河津川沿いには850本もの桜並木があり、一ヶ月間行われる「河津桜まつり」は来訪者数十万人の人気のお祭りとなっています。
 ちょうど「メジロ」が大好物の花の蜜を吸いに来ていました。メジロのからだはあざやかな黄緑色をしており、ウグイスと間違えることもありますが、目のまわりが白いため区別できます。


           

2024年2月号



 梅の開花が始まりました。2月14日、高槻市の上之宮天満宮で撮影しました。毎年2月25日と26日には、菅原道真の命日に合わせて例祭が開催され、梅花祭神事が行われることが書かれています。
 ここで、冬鳥を見つけました。スズメほどの大きさで、翼には白斑があり、「紋付鳥」とも呼ばれますが、正式名は「ジョウビタキ」です。このオスの鳥は、中国やロシアなどで繁殖し、越冬のために日本に渡ってきます。澄んだ声で「ヒッ ヒッ ヒッ・・・」と鳴き、時には「カッカッ」と低く鳴きます。また、尾を震わせたり、頭を下げるお辞儀のような動作が特徴的で、住宅地や公園にも現れます。もし「ヒッ ヒッ ヒッ・・・」と聞こえたら、ぜひ探してみてください。


2024年1月号


 ヨシガモのオス 高槻市にて
 全長48㎝。オスの頭は扁平で、ナポレオンの帽子を縦にかぶったように見えることから、ナポレオンハットを持つカモとして知られています。ハットとおしりの方に見える鎌状にカーブした羽(翼の付け根部分)、そしてその立ち姿、かっこいいですね。

アジア大陸の北部に分布・繁殖し、冬には東南アジアの温帯・熱帯へ渡ります。日本では冬鳥で、全国で記録されており、湖沼、河川、海岸などに生息しています。


  スイセン 高槻市にて 
 日本で最もよく見かけるのはこの白い花の中心部が黄色の「日本水仙」。

原産地は地中海沿岸。室町時代以前に中国を経由して日本に入ったと考えられています。雪の中でも春の訪れを告げるので別名「雪中花」(せっちゅうか)と呼ばれています。




 蝋梅(ロウバイ)は内側の花被片が濃い紫色になるのだが、一般に出回っているのは花被片全体が黄色くなる素心蝋梅(ソシンロウバイ)やその園芸種。
 ロウバイは中国原産の落葉低木。新春に香り高い花を咲かせる貴重な存在である。中国では、ウメ、スイセン、ツバキとともに、「雪中の四花」として尊ばれてる。江戸時代初期に日本へ渡来し、ほかの花木に先駆けて咲く香りのよい花が愛され、生け花や茶花、庭木として利用されてきた。


 
  本年もよろしくお願いします

    

 
     コゲラ 万博公園にて
 日本で一番小さなキツツキ。ほぼ全国に分布・繁殖していて渡りはしない。


2023年12月号

 
  ♫もういくつねるとお正月 ♫
12月中旬、お店はすでにお正月モードに。




 皇帝ダリアは日が短くならないと花芽ができないので開花期が遅く11月下旬から咲き出す。花後は根元から20cm程度の高さで切ってしまうが、春に株元から新しい芽が出て、冬には2階まで届く高さに成長する。



 高槻市芥川にて。ユーラシア大陸北部から飛来してきたヒドリガモ。
疲れたのか、お昼寝中ですね。


           

2023年11月号


    菊 高槻市街角にて

 もっとも古くからある観賞植物。
日本には奈良時代末期から平安時代にかけて中国から渡来、改良が重ねられ多くの品種がある。日本には国花はないが、国民に広く親しまれている桜とともに、皇室の家紋のモチーフである菊が事実上の国花として扱われている。
 菊花展で見られるものは
「厚物(あつもの)→ 大輪もの」
「管物(くだもの)→ 細い花びら」
とに分けられるそうだ。
写真も2種類ありますね。




11月に入って夏日のところも。
クマ君が暑かった夏を振り返ります。


2023年10月号


     コスモス


 旅するチョウ アサギマダラ


 アキアカネ 高槻市三好山にて

 アキアカネは赤トンボの代表種。ナツアカネとよく似ているが頭部や胸部はあまり赤くないのでアキアカネと思われる。アキアカネは夏に一旦低地から姿を消し、秋に成熟成虫が大挙して出現するのに対して、ナツアカネは低地から姿を消さない。


      ダリア




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